花脊友禅の橋村重彦氏を訪ねる 2

この度橋村重彦氏の作品展を開催することになりました。氏は人里離れた京都洛北の地、花脊にて家族(奥様・息子たち)だけでの友禅染の一貫製作をされています。
なぜ花脊で?なぜ家族だけで?それは以下のインタビューをお読みください。
 私は若い頃、京都の手描き友禅工房の高橋徳商店にて修行をしておりました。主な仕事として千總の最高級手描き友禅染のブランド製作を担当し、御皇室を始め高島屋(上品会)・各デパート・呉服専門店向けのブランドなどに携わっておりました。
 高橋徳から暖簾分けして頂き独立後も、引き続き同じように仕事を休む暇もなく、ただがむしゃらにこなしていく中で、私は一人の染め人として自分の思うような作品をつくる事が許されない事への不満や、着る方の姿が捉えきれない作品作りにも、いつしか矛盾を感じるようになっておりました。
 私は納得できる作品づくりに思いを馳せ、花脊への移住を決意しました。手描き友禅を山里で製作する事はかなり困難な事と、多くの方から意見をされましたが思い切って1987年花脊の里に移住いたしました。
 しかしながら花脊に移住してみて市内の生活との違いを大きく感じることとなります。
 まずテレビが映りません。アンテナを500mくらい引っ張って、山のてっぺんにたてれば写るそうなんですが、そうもいきません。新聞は郵便物と一緒に届けられるので日曜日には配達が無く、夕刊は翌日朝刊と一緒に届きます。冬場はゴミの収集は無し、電気は停電の時は6〜7時間回復しません。また息子たちの通学にも大変です。冬、市内の高校に通学するのに雪が1m以上積もるため、車で送ることも出来ません。息子達は最寄りの鞍馬駅まで11kmの山道を徒歩で通いました。車の道は曲がりくねっているため、学校まで一直線に雪の中、熊よけの鈴を鳴らしながら歩くのです。
 仕事面でも、ここでは下水もないので、友禅に使うもの全てに有機溶剤や揮発を使うゴム糊・化学薬品や劇薬を含んだ染料など有害な物は一切使えません。
思いがけない問題が次々に生まれて、必然的に家族が一体で生きなければならない環境となりました。ここから家族での製作が自然に、必然的に生まれた次第です。
 我々の描く友禅染めの手法は、本来の手描き友禅染め。友禅創始期の行程とほとんど同じです。友禅の最大の特徴である糊糸目、ここでは全ての柄を糯米を炊いた糊糸目で線描きしております。糊は勿論自家製で、次男がその日使う分を毎朝早く起きて仕込みます。引染・蒸し・水元もすべてのここで行います。この20年間でやっとレベルが揃い、一貫制作が確立出来たように思います。
 ここで生まれた私どもの作品は、花脊の自然豊かな環境、水や空気などの風土、庭の草木などを部分的に染料として使用し、染め上げるところからに「花脊友禅染」と名付けました。
 ヨーロッパにはアルチザンという基本姿勢があります。これは日本の職人は技だけという考えから、技と創造を一体化するという考え方です。
 私もこの精神を背負い真実一路に染めて参りたいと思います。
                                                        染め人 橋村 重彦
橋村氏.jpg

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする